アントニオ猪木難病心アミロイドーシスとは何?復活するの? 

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「闘魂」アントニオ猪木は、今年の誕生日に喜寿を迎えました。2020年7月25日に、難病と闘っていることを明らかにしました。

病気は、2019年に、耳が聞こえにくくなって始まりました。他にも気になる症状があり、病院で精密検査をしました。検査の結果、心臓にアミロイドという膜ができる病気でした。心臓の機能が落ち、全身に十分な血液を送れなくなる心アミロイドーシスであることが分かりました。

アントニオ猪木(本名:猪木寛至(かんじ))は、1943年2月20日生まれで、横浜市鶴見区の出身です。横浜市立寺尾中学校3年生のときに、母親、祖母、兄弟と共にブラジルへわたったそうです。サンパウロ市近郊の農場で、コーヒー豆の収穫などの農作業をしていました。

1960年4月11日、サンパウロへ巡業に来た力道山に声をかけられスカウトされてプロレスラーになりました。日本へ帰ってきて、日本プロレスに入り、1960年9月30日にデビューしました。力道山の亡き後、1964年からアメリカで武者修行し、アメリカでタイトルを獲得して活躍しました。

日本プロレスでは、ジャイアント馬場とタッグチームを組み、BI砲としてインターナショナル・タッグ王座を獲得し活躍しました。1972年1月26日に独立して、新日本プロレスを旗揚げしました。モハメド・アリと異種格闘技戦を行ったこともあります。1998年4月にプロレスから現役引退しました。

1989年には、スポーツ平和党を結成し、第15回参議院議員通常選挙で比例区で当選しました。2013年6月5日には、日本維新の会から第23回参議院議員通常選挙の比例代表で当選しました。2019年6月5日の参議院選挙に出馬せず、引退しました。

アントニオ猪木がなった心アミロイドーシスはどんな病気?

アントニオ猪木は、数年前から息が苦しいと感じていました。最初は、喜寿を迎えたので、老化によるものかと思っていました。しかし病院で精密検査をすると、心アミロイドーシスという難病であることが分かりました。

心アミロイドーシスは、アミロイドというタンパク質が関係しています。治療は、アミロイドを溶かす薬を飲んでいます。治療の効果は徐々に出ていますが、現在は、歩くのも苦しい状態だと言っています。

心アミロイドーシスの原因は、肝臓で作られるトランスサイレチンというタンパク質が変性して、アミロイドができることです。そのアミロイドが心臓の心筋細胞間質にたまった状態が、心アミロイドーシスという難病です。

アミロイド―シスの病気は、原因となる異常なタンパク質アミロイドの沈着する臓器により分類されています。沈着した臓器として心臓、肺、肝臓、脾臓、胃、腸、腎臓などがあり、その機能が低下して発病します。

アントニオ猪木の罹っている心アミロイドーシスという病気は、アミロイドーシスの病気の中で、心臓に異常なタンパク質やアミロイドが沈着する病気で、心不全を起こす、非常に怖い病気です。

心臓にアミロイドが沈着すると、心室の壁が厚くなり、広がる能力が低下し、さらに進行すると収縮する能力も低下します。最終的に、治療困難な心不全になります。さらに全身にアミロイドの沈着する全身性アミロイドーシスは、難病に指定されています。

アントニオ猪木が、息切れを起こすという症状は、心臓から血液が送られない心不全によるもので、最悪の場合は命を落とします。

アントニオ猪木メディア復活の可能性は?

アントニオ猪木は、若いころから心臓には自信があったと、自分で言っています。エチオピアなどの空気が薄い高地トレーニングなどをして、身体を鍛えたそうです。

パラオの海では、3分近くも潜水して、心臓が世界一強いと自信を持っていました。心臓は強かったけど、アミラーゼが沈着して、膜になり、心臓の働きを弱くしたと言っています。

アントニオ猪木の父親は、猪木が5歳のときに、心臓病で亡くなりました。父親は石炭問屋を営んでいました。アントニオ猪木は、10人兄弟の9番目でした。兄弟も、心臓病で亡くなった人が多いと、猪木が言っています。猪木の話から推察すると、遺伝性の心アミロイドーシスのように思えます。

治療は、新薬のビンダゲルを3月から飲んでいます。ビンダゲルは、心臓に沈着しているアミロイドを溶かす薬で、進行を止める効果があると言われています。完全に治るまでには、時間がかかります。

この薬は、1日17万6千円(年間6400万円)かかるそうで、アントニオ猪木は、難病申請が認定されていないので、自己負担がいくらになるのか不明だと言っています。保険の適用がどの程度可能なのかも不明です。

薬の効果が出てきたのか、周囲は「よくなっているように見えます」と言われています。薬の効果がでて、メディア復帰の日が近いことを期待されています。

まとめ

アントニオ猪木は、4回結婚しています。最初は、1964年にアメリカ人女性「リンダ」と結婚しました。子供がいたそうですが、幼いころになくなりました。短期間に離婚しています。

2度目の結婚は、女優の倍賞美津子さんで、1971年でした。二人の間に、娘さん「猪木寛子」が誕生しました。結婚生活16年目の1987年に離婚しました。

3度目の結婚は、一般人女性で、1989年でした。22歳年下の女性でしたが、2012年に離婚しました。二人の間に息子がいます。

4度目の結婚は、2017年2月20日で、16歳年下の一般人女性の元写真家橋本田鶴子さんです。2019年8月27日に亡くなりました。アントニオ猪木は現在独身です。

独身になってから、難病が見つかり、アントニオ猪木は「薬代のためにまだまだ働かなくちゃいけないよ」と言っています。メディアへの復帰が近いように思います。

アントニオ猪木は、闘魂精神で、病気を克服して、メディア復帰することを祈っています。

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