いよいよ今年、延期となっていた東京オリンピックが開催されますね。今から各種競技を楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。日本勢の活躍とメダル獲得についてが1番気になるところですが、それは冬季オリンピックについても変わりありません。
東京開催、つまり日本国内で開催されるということで何かと話題となっている今年のオリンピックですが、23年前には長野で冬季オリンピックが開催されました。
そんな長野オリンピックの舞台裏を描いた映画『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』がオリンピックイヤーの今年公開されます。今回は『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』のあらすじや原作について詳しく調べてみました。


映画ヒノマルソウルあらすじネタバレは?
1998年、長野オリンピックで活気付く日本で複雑な思いを抱いている男性がいました。
彼、西方仁也さんは前回大会であるリレハンメルオリンピックのスキージャンプ代表選手であり、西方さんが飛んだ135mという記録は当時の日本代表最高飛距離でした。
しかし、原田選手がジャンプを失敗してしまい、銀メダルという結果に終わってしまいました。
西方さんは4年後の長野オリンピックでこそスキージャンプ団体で日本初の金メダルを獲るべく、仲間たちとともに練習に励みます。
しかし、あろうことかスキージャンプという競技の選手にとって要である腰を故障してしまい、代表選考から落選してしまうことになりました。
そしてそんな失意の彼の元に届いたのは、テストジャンパーとして長野オリンピックに参加して欲しいというまさかの依頼だったのです。
テストジャンパーとはジャンプ台に異常が無いかを確かめるべく、競技が始まり選手たちが飛ぶ前にテストジャンプを行う人たちのことです。
また、新たな雪が降り始めた際には彼らが何度も飛んで、ジャンプ台の雪を踏み固めていくという作業も重要な役目となっています。
この依頼は選手としての長野オリンピック参加を目指していた西方さんにとってはとても屈辱的でしたが、しかし代表選手としてでなくても国内で開かれるオリンピックという場でジャンプできる唯一のチャンスでもありました。
参加を決意した西方さんは様々な思いや事情を抱えた他のテストジャンパーたちとともに準備をすすめ、ついに長野オリンピック本番の日を迎えます。
団体戦が始まり、西方さんたちが見守る中あの原田選手が1本目を飛びますが、失敗してしまいました。
2本目で挽回を狙う日本勢ですが、ここでアクシデントが起きてしまいます。ここへきて猛吹雪が吹き荒れ始め、競技が中断の危機に陥ってしまいました。
審判員たちの協議の結果、テストジャンパー達が全員無事に飛ぶことができたら競技を再開するということに決まりました。
もしこのまま中断となって競技終了になった場合、1本目の記録のみで順位が確定してしまうため、日本は現順位の4位となり金メダルどころかメダル獲得自体が不可能になってしまいます。
こうして日本のメダル獲得の命運は、西方さんたちテストジャンパーに託されました。
それぞれに複雑な思いや事情を抱えたテストジャンパーたちは「絶対に日本に金メダルを獲らせる」という気持ちを胸に、無事に全員飛ぶことができるのでしょうか?ドキドキのクライマックスは是非劇場でお楽しみください。
原作は何?
東京開催のオリンピックイヤーに公開される長野開催の冬季オリンピックを題材とした映画とあって、注目度も高い映画『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』。
主人公たち登場人物の魅力もさることながら物語もとてもドラマチック、さらにクライマックスは息を飲むような展開で、原作となった作品が気になっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
テストジャンパーはそれぞれ事情は違うものの、元々は代表の座を手に入れようと切磋琢磨していた選手たちです。
その中でもかつて活躍していた元代表選手を主人公に、その苦悩と葛藤そしてメダルを賭けた熱い想いを抱いたジャンプ…と、まるで創作されたストーリーのようですが、これらは全て実話なんです。
つまり、原作の小説や漫画などの創作作品は存在せず、実際の選手たちや関係者たちに取材することで作成された実話を元にした映画ということです。
実際に映画『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』の公式サイトでは、今作の主人公として描かれた西方仁也さんと彼を演じた田中圭さん、そして劇中にも日本代表選手として登場する原田雅彦さんが対談した様子が記事となっています。
その中でも西方さんと原田さんのお2人が当時の様子を紹介するとともに、「台本を読んだら、心の中に秘めていたことが文字になっていた」とも語っていましたので、映画のストーリー自体もとてもリアルに作られているのだと思います。
原田さんが金メダルを決めたあのジャンプの後、泣きながら絞り出すような声で言った「俺じゃない、みんななんだよ」という言葉は当時のワイドショーなどでも多く取り上げられました。
この時、”みんな”は原田さんの前に飛んだ他の選手たちや支えてくれたご家族のことなのだろうと思っていましたが、今ではきっと西方さんたちテストジャンパーの方々のことも想っての発言だったのだろうなと思います。
特に原田さんと西方さんは同い年で子供の頃から一緒に練習して、大人になってからも同じ企業の同じチーム、さらに長野大会の前回大会となるリレハンメルオリンピックでは同じ日本代表として団体のチームメイトだったわけですから、より特別な気持ちがあったことでしょう。
まとめ
かつて長野で冬季オリンピックが開催された際、当時筆者は小学生でしたが、スキージャンプ団体の決勝を学校の教室で授業の一環として見ていました。スキージャンプというものすら見たことがありませんでしたが、日本の金メダル獲得の瞬間の原田選手のあのユニフォームは今も目に焼き付いています。
そしてルールすら分かっていなかったのに、何故かとても感動した記憶があります。皆さんも東京オリンピックが始まる前に、長野オリンピックのあの感動をもう一度、是非スクリーンで味わってみてはいかがでしょうか。
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