橋田壽賀子さん死去相続財産は誰が受け取るのか?渡鬼など脚本作品の放送は?追悼番組は?

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2021年4月4日に、NHKテレビドラマ「おしん」などの脚本家・橋田壽賀子さんが、急性リンパ腫のために熱海市の自宅で死去しました。2015年に脚本家として初の文化功労者になり、文化勲章を受章し、多くの高視聴率ドラマを書いた脚本家の死去に、ファンや番組関係者から追悼の言葉がよせられています。

橋田壽賀子さんは、本名:岩崎壽賀子、1925年5月10日生れ、朝鮮・京城出身、2021年4月4日(95歳)に静岡県熱海市で死去した脚本家です。日本統治時代の京城(現在のソウル)で、チタンを産出する鉱山と土産物店を営んでいた家に生まれ、9年間韓国で過ごしました。

日本へ帰り大阪府立堺高等女学校(現在の大阪府立泉陽高等学校)を卒業し、日本女子大学文学部国文学科を卒業し、早稲田大学第二文学部国文科に入学し、中退しました。早稲田大学在学中に、久板栄二郎の脚本塾に通って演劇の執筆を始めました。1949年に松竹に入社し、脚本部所属になりました。

1952年公開の映画「郷愁」で脚本を書きました。1959年に松竹を退社し、作家として独立しました。1964年に、ドラマ「愛と死をみつめて」の脚本で注目されました。1966年5月10日に、41歳でTBSプロデューサー・岩崎嘉一(いわさき よしかず)さんと結婚しました。1989年9月に、岩崎嘉一さんは肺腺ガンで死去しました。

1992年に、岩崎さんの遺産などを元手に「橋田文化財団」を設立し理事長になり、橋田賞を創設しました。晩年から「熱海自然郷」の自宅で、愛犬の柴犬「さくら」と暮らしていました。2019年2月に、船旅でベトナムを訪れ、現地においてマロリーワイス症候群で下血し、プライベートジェット機で帰国したこともありました。

2021年2月下旬から、急性リンパ腫の治療で東京都内の病院に入院し、3月から静岡県熱海市内の病院に移り、4月3日に自宅に移り4日9時13分に死去しました。

数多くのヒットドラマの脚本を書き、1983年から1984年にNHK「おしん」、1989年にNHK「春日局」、1990年から2019年にTBS「渡る世間は鬼ばかり」などのヒット作品があります。

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橋田壽賀子さんの相続遺産

橋田壽賀子さんは、生前に対談の中で大型客船に乗って、100日以上かかる世界一周の旅にでて、お金を使っていると話していました。橋田壽賀子さんは「これまで3回世界一周をしました。」、「世界一周するのに3000万円近くかかります。」「要は2人部屋を1人で使うので、2人分とか1.5人分のお金を払わなきゃならないんです。」と話していました。

橋田壽賀子さんは遺産相続について「私には遺産相続者がいません。死んだらお国が持っていきます。だから私は、自分で稼いだお金は全部使い切って死にたい。」と話していました。

相続人がいないときは、利害関係者等の請求による家庭裁判所の審判に基づき「相続財産管理人」が選任され官報に公告されます。相続人調査、相続財産調査が行われ、相続人がいることが分からないときは、「特別縁故者」へ相続する制度があります。

特別縁故者とは、内縁の夫婦、事実上の養親子、献身的に介護に尽くした者などが挙げられ、申請すると家庭裁判所の裁量で該当するかどうか決定されます。特別縁故者に対する財産分与で処分されなかった相続財産は、国庫に帰属します。

橋田壽賀子さんの夫・岩崎嘉一さんの兄さん(故人)が、静岡県沼津にいました。岩崎嘉一さんの希望で、岩崎家の墓に入ったときに、兄さんが「嘉一はおふくろのところに入れたけど、壽賀子さんは入れにゃあ」と、橋田さんが墓に入るのを拒否しました。それから交際していないので、兄さんの家族に財産相続はないと思われます。

橋田壽賀子さんは泉ピン子さんと、自身の両親のお墓を愛媛県今治まで見に行って、百回避の供養をし、墓石を大きなものに建て替え、「永代供養」を依頼しています。今治の両親の墓に入ると思います。また富士山のふもとに「文学者の墓」があり、橋田壽賀子さんは岩作嘉一さんと、共に供養してもらうとも話していました。

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渡鬼など脚本作品の見逃し配信

ドラマ「おしん」は、U-NEXTdTVTSUTAYA DISCASNHKオンデマンドなどで見逃し配信されています。

ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」は、TBSオンデマンド、Paraviなどで見逃し配信されています。

橋田壽賀子さんの追悼番組は、2021年4月6日午後1時から、テレビ朝日「徹子の部屋」が「追悼・橋田壽賀子さん」を放送しました。橋田壽賀子さんは、同番組に6回出演していました。他にもテレビ各局から、追悼番組があると思います。

橋田壽賀子さんと60年の付き合いがあったTBSテレビプロデューサーの石井ふく子さんは「年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと『どうしたの?』と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。『あなた一人でどこに行ったのよ』という思いでいっぱいです。」と追悼の言葉を寄せています。

橋田さんの最後をみとった泉ピン子さんは、「昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。」とコメントを出しています。

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まとめ

数多くのテレビドラマを手がけ、文化勲章を受章した脚本家・橋田壽賀子さんが亡くなりました。橋田壽賀子さんの財産相続、脚本作品の放送、追悼番組などについて調べました。

橋田壽賀子さんのご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます。

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