ミャンマーの現状は?首相は誰?アウンサンスーチー氏はまだ軟禁か?

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2021年8月1日に、ミャンマーでは2月の国軍によるクーデターから半年が経過しました。国軍が設置した意思決定機関「国家統治評議会」(SAC)は暫定政府を発足させ、国軍トップのミン・アウン・フライン総司令官が暫定首相に就きました。

総司令官はテレビ演説で、2023年8月までに総選挙を行い、勝利した政党に政権を譲渡すると話しました。今後2年間は、国軍が統治を続ける方針を明らかにしたことで市民の反発が高まっています。

ミャンマーの現状について調べました。

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ミャンマーの現状は?首相は誰?

ミャンマーに関するニュースが、クーデターから6か月をへて減少しています。2021年2月1日に始まったクーデターにより、ミャンマー国民の暮らしは一変しました。一気に解放前の10年以上前の暮らしに戻り、国民は閉塞感を抱いています。

一部報道では、5月末あたりからミャンマーに平穏が戻りつつあるという人がいます。街は平常に戻ったような印象を受けます。街に人が戻り、一部経済が復活してきた印象を受けます。2011年から民主化への動きが始まりましたが、軍は自分たちの権益を手放していませんでした。

10年にわたって積み重ねてきた民主化への発展は、軍のクーデターにより一夜にして無くなりました。クーデター以降、市民への武力弾圧が続いていて、人権団体「政治犯支援協会」によると、7月31日現在の市民の犠牲者は940人、拘束者は5444人になっています。

ミャンマーは東南アジアのインドシナ半島西部に位置する国家で、首都はネピドー(2006年までヤンゴン)、1948年から1989年までビルマ連邦と呼ばれ、日本の1.8倍の面積を持ち、人口は約5400万人、国境はタイ、ラオス、中国、インド、バングラデシュに接しています。

ミャンマーは1948年に英連邦からビルマ連邦共和国として独立し、1988年ミャンマー国軍がクーデターを起こして軍事政権を開始し、国名をミャンマー連邦にしました。2011年に総選挙で軍事政権が解散し、国名をミャンマー連邦共和国にしました。2015年の選挙でアウンサンスーチーの党が過半数を獲得しました。2021年2月1日にミャンマー軍が非常事態を宣言し、アウンサンスーチー国家顧問を拘束しました。

ミャンマーでは新型コロナウイルス感染症が急速に拡大しています。クーデターから半年が経過し、医療体制は崩壊状態に陥っています。人権団体は「危機の責任は軍事政権にある。さらに多くの命を失う前に民政に戻すべきだ」と訴えています。新規感染者が6月下旬から急増し、7月後半から5000人前後の日が続いています。

感染を抑えるため、7月17日から25日まで休日にしましたが、納まらないため8月1日まで延長しました。医療機関が機能せず、市民は酸素工場の前でボンベをもって列を作っています。酸素濃縮器は売り切れ、PCR検査体制も不十分な状態です。

人権団体は「国軍は医療従事者の逮捕・殺害や医療機器・施設の破壊で医療体制を混乱させた」と非難しています。在ミャンマー日本大使館は7月中旬以降「医療体制は逼迫(ひっぱく)している」と在留邦人の一時帰国を呼びかけています。

毎日数千人の新規感染者がいて、死亡者も数百人出ています。ヤンゴンの火葬場では一日に1000人以上の死体が荼毘に付されています。ヤンゴンの病院では、病床数60に対して、249人の患者を受け入れています。新型コロナウイルスが感染拡大していても、クーデターに反対する国民はワクチン接種を断っています。

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アウンサンスーチーの現状は?軟禁か?

2021年5月24日、クーデターでミャンマー国軍に拘束され自宅軟禁中のアウンサンスーチーさんが法廷に出廷しました。審理は首都ネドビーで行われています。無線機の違法輸入、国家機密法違反などの罪に問われています。アウンサンスーチーさんは法廷で「我々の党は人々の中から生まれた党であり、人々の支持がある限り存続する」と述べました。

ミャンマー軍は2020年11月の総選挙で大勝した、アウンサンスーチーさんの率いる国民民主連盟(NLD)に不正行為があったと主張しています。選挙監視団は、同選挙は概ね自由で公正だったとしています。アウンサンスーチーさんは健康状態に問題はないが、自宅軟禁により国内情勢はあまり知らないと言われています。

アウンサンスーチーさんは1945年6月19日、イギリス統治下のビルマの首都ラングーンで生まれました。父親が「ビルマ建国の父」アウンサン将軍です。1947年に父・アウンサンが政敵に暗殺されました。ラングーンで元看護師の母親キンチーと2人の兄と暮らしました。

アウンサンスーチーさんはラングーンの聖フランシス修道会学校からビルマのメソジスト英語学校に通いました。1962年からデリー大学で政治学を学び1964年に卒業しました。1964年から1967年までイギリスのオックスフォード大学セントヒューズカレッジ哲学政治経済学部で学びました。

アウンサンスーチーさんは大学を卒業後、ニューヨークで暮らし、1969年から1971年まで国際連合事務局行政財政委員会で書記官補を務めました。1972年にチベット研究者のマイケル・アリスと結婚しました。1973年に長男アレキサンダー、1977年に次男キムを出産しました。

アウンサンスーチーさんはオックスフォード大学で日本語を習得し、1985年10月から約9か月間国際交流基金の支援で京都大学東南アジア研究センターの客員研究員として来日しました。

1988年にビルマに戻り、1988年の国民民主連盟(NLD)の結党に参加し、書記長に就任しました。1990年の選挙でNLDが大勝しましたが、軍事政権が権力の移譲を拒否しました。1991年10月ノーベル平和賞を受賞しました。

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まとめ

今回は軍事政権がクーデターを行ってから半年が経過したミャンマーの現状とアウンサンスーチーさんについて調べました。ミャンマーでは、新型コロナウイルスの新規感染者が増加し多数の死者が出ていることが分かりました。

ミャンマーの政治が正常化され、新型コロナウイルス感染症が収束することを祈っています。

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