アメトーク中学の時イケてないグループに属してた芸人歴代おすすめエピソードは? 

バラエティ

アメトークは、2003年4月からテレビ朝日系で放送されているお笑いトークバラエティ番組です。司会は、2019年6月20日迄は雨上がり決死隊の宮迫博之と蛍原徹が行い、それ以降は蛍原徹ひとりで行っています。

くくりトークと呼ばれる共通の趣味や特徴を持った芸人がトークするプレゼン大会が企画されています。「中学の時イケてないグループに属していた芸人」は、2008年3月27日の第5回芸人持ち込みプレゼントSPにおいて、サバンナ高橋がプレゼンした企画でした。

この企画は、2008年9月4日、12月30日、2009年10月9日と、過去に数回放送されて、2009年1月にギャラクシー賞を受賞しました。

「中学の時イケてないグループに属していた芸人」には、白組に高橋茂雄(サバンナ)、山本博(ロバート)、秋山竜二(ロバート)、馬場裕之(ロバート)、川島明(麒麟)、西田幸治(笑い飯)、博多大吉(博多華丸・大吉)、兵頭大樹(矢野・兵頭)、中田敦彦(オリエンタルラジオ)、春日俊彰(オードリー)、濱口優(よゐこ)、村上健志(フルーツポンチ)、石田明(NONSTYLE)、なだぎ武(ザ・プラン9)、真栄田賢(スリムクラブ)が出演しました。

紅組に、大島美幸(森三中)、馬場園梓(アジアン)、箕輪はるか(ハリセンボン)、バービー(フォーリンラブ)、坂口真弓(少年少女)、白鳥久美子(たんぽぽ)、川村エミコ(たんぽぽ)が出演しました。

白組の中学の時イケてないグループに属していた男性芸人

高橋茂雄(サバンナ)
高橋茂雄は、1976年1月28日生まれで、京都市下京区出身です。実家は歯科医院で祖父・父・兄とも歯科医師です。1994年に立命館高校の柔道部先輩の八木真澄と漫才コンビ「サバンナ」を結成しました。

小学校の高学年時に転校性にいじめられて、市立中学校に進学するといじめられるので、猛勉強して私立の立命館中学に入学しました。高橋茂雄は、目立たない存在で、同じように目立たない同級生から「高橋くんになら勝てる気がする」と意味不明なタイマンをはられたことがありました。

高橋茂雄は、中学時代に女子から、「ここおったんかい」と言われるくらい目立たなかったので、女子と話すこともなく過ごしました。遠足に行く日に腹痛になり、母親が弁当におかゆを入れて、リュックの中が水浸しになり、あだ名が「リュックびちゃ男」になりました。

高橋茂雄は高校時代は柔道部に入っていましたが、部内で一番弱かったと言われています。サバンナの相方の八木真澄が柔道部の部長で、高橋茂雄の太鼓持ちの性格から八木真澄に媚を売っていました。大学は立命館大学産業社会学部へ進学し、無事卒業しています。

川島明(麒麟)
川島明は、1979年2月3日生まれで、京都府宇治市出身です。大阪NSC第20期生で、1999年に田村裕とお笑いコンビ「麒麟」を結成しました。

川島明の祖母は宇治の漬物屋で、父親・川上喜一さんの職業は塗装業と言われています。川島明は、小学生の時にベンツの塗装を手伝ったことがあると言っているので、自動車関係の塗装をされているようです。

川島明は宇治市立菟道小学校から宇治市立宇治中学校へ進みました。中学校1年生のときに、バスで遠足して、隣の席の女の子がバス酔いして嘔吐しました。消化されていないマスカットが出てきたので、拾ってあげたのに、女の子が泣き出しました。それからあだ名が「マスカット」になりました。

はがき職人としてファミ通やラジオに投稿するのが趣味だったと言っています。中学時代は友達の家のスーパーマーケットを手伝って、稼いだアルバイト代でゲームセンターに行っていました。

中学校を卒業後は、京都府立菟道高等学校へ進学し、卒業後は小学生時代から新喜劇や漫才を見て憧れていた大阪NSCへ入り、お笑いの道へ進みました。

石田明(NONSTYLE)
石田明は、1980年2月20日生まれで、大阪市出身です。大阪市立大淀中学校、大阪府立東淀川高校の卒業です。2000年に、東淀川高校で仲の良かった井上裕介とお笑いコンビ「NONATYLE」を結成しました。

石田明の家庭は、父親、母親、兄、姉、兄、石田明の六人家族です。4人兄弟の末っ子で、貧乏であったため、友達の持っている文房具を買ってくれと言えなかったようです。夏休みの宿題で絵日記を書くときは、旅行したことを想像して書くように母親から言われました。

貧乏でリコーダーが買えないので、落ちていたリコーダーの部品を組み立てて使用しました。違う色のリコーダー部品から組み立てたため、あだ名が「三色リコーダー」になりました。

食生活に恵まれなかったため、身体が弱く骨年齢72歳、血管年齢73歳など、虚弱エピソードが豊富です。野球をしてボールを投げたら腕を螺旋骨折した、相方のツッコミで肩を脱臼したなどの虚弱エピソードもあります。

紅組の中学の時イケてないグループに属していた女性芸人

大島美幸(森三中)
大島美幸は、1980年1月13日生まれで、栃木県大田原市出身です。NSC東京校4期出身で、1998年に吉本興業東京本社に入社しました。黒沢かずこ、村上知子と3人で、「森三中」を結成しました。

大島美幸の実家は兼業農家です。父親は消防士で、母親が看護師です。大島美幸は、大田原市立両郷中央小学校から大田原市立両郷中学校へ進学しました。高校は、栃木県立黒羽高等学校を卒業しました。

大島美幸は、小学校4年生から中学2年生まで陰湿なイジメにあったと言っています。いじめっ子は、イジメの理由を「お前が泣くと面白い」と言っていました。大島美幸は、「私が笑わせている」と前向きにとらえたそうです。最終的に、いじめっ子がクラス全員から無視されるようになり、大島美幸に謝ってきました。

あだ名は、みゆきという名前の女子が他にいて、区別するため「ジャンボ」と呼ばれていました。中学時代は女性向けのエロ本を修学旅行の夜に、仲間と読み、男湯は覗けないので、女子の風呂で股間を見て性欲を満たしました。一番仲の良い男子の股間を握ったとか、エロ系のエピソードが多いです。

箕輪はるか(ハリセンボン)
箕輪はるかは、1980年1月1日生まれで、東京都府中市の出身です。NSC東京9期で、近藤春菜とお笑いコンビ「ハリセンボン」を結成しました。

箕輪はるかは、看護師をしている母親との母子家庭で育ちました。母親が家にいることが少なく、勉強に頑張りました。けん玉も家で一人で練習して上達しました。

武蔵野市立大野田小学校から武蔵野市立武蔵野第四中学校へ進学しました。中学時代は、バドミントンで活躍しました。休み時間にピロティにおり、あだ名は「ピロティ」でした。トイレで一人でいたら、幽霊と間違われたエピソードもあります。

箕輪はるかは、東京都立保谷高等学校から早稲田大学第二文学部を卒業しています。大学の学費は、アルバイトと奨学金でまかない、自力で学費を払ったと言っています。

まとめ

今回は、アメトークの「中学の時イケてないグループに属していた芸人」の中から抜粋して、男性芸人3名、女性芸人2名について紹介しました

この番組を見た視聴者からは、「同じような境遇の青少年たちに勇気を与えてくれた」と」評価され、ギャラクシー賞の月間賞を受賞しました。

 

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