映画ミストあらすじネタバレは?結末はどのような考察がされ伝えたいことは?

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往年の名作として知られる『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』の原作の著者・スティーヴン・キング氏が1980年に発表した小説『霧』を元に制作されたSFホラー映画です。2007年に公開されるとその衝撃的な内容が話題になり、公開から10年以上が経過した現在も根強い人気があります。

近年ではSNSなどで「鬱映画」と言われ、若い世代にも知られるようになったようですね。今回はそんな映画『ミスト』のあらすじのご紹介や、映画を通して伝えたかったことは何なのかを考察してみました。

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映画ミストあらすじネタバレは?

主人公デヴィッド・ドレイトンは妻と8歳の息子ビリーと共に湖のほとりで暮らしていました。
ある日、激しい嵐が町を襲い、彼らの自宅の一部やボート小屋も壊れてしまうほどの被害がありました。そのためデヴィッドはビリーを連れて買い出しに出ることになり、同じく嵐の被害を受けた隣人のブレント・ノートンも一緒に乗せてスーパーマーケットへ向かいました。

スーパーは同じく買い出しをしにきた客たちで混雑していました。しかし、嵐の被害なのかスーパー内も冷蔵庫以外は停電しており、いつもとは違う雰囲気になっています。デヴィッドたちが買い物をしていると、外をパトカーや救急車がサイレンを鳴らして走り回り始めました。

その異様な様子に店外を見つめていると、鼻血を流した初老の男性ダン・ミラーが店内へ逃げ込んできて「霧の中に何かがいる!」と叫びました。その只事ではない様子に店内の客たちが戸惑っていると、店外は濃い白い霧に包まれてしまいました。こうしてデヴィッドたちはたまたま居合わせた客たちと共にスーパーの店内へ閉じこもることになってしまいます。

皆が恐怖と戸惑いで混乱しました。信心深いミセス・カーモディはもはや狂信者となり世界の終末だと騒ぎ立て、周りの様子に幼いビリーも怖がりました。

子供2人を家に残して買い物に来ていたという女性は誰か一緒に外へ出てくれないかと懇願しますが、誰も名乗り出てはくれませんでした。彼女は「全員地獄に落ちればいい」と言い残し、1人で霧の中へと消えていきました。

デヴィッドは事態を探るべく、意気投合した教師のアマンダとアイリーンにビリーを任せ、スーパーの副店長・オリーやメカニックの男性たちと共に倉庫を調べに行きました。しかしシャッターを開けた瞬間、謎の巨大な触手が彼らに襲いかかり男性が連れ去られてしまいます。

デヴィッドたちは店内の人々へ「外に謎の生物がいる」と伝えますが、それでも外へ救助を要請しに行きたいという人もノートンを始め数人いました。そこでもし濃霧の中で戻りたくなったら戻れるように、またどこまで進めるのかを調べるために外へ出る男性の1人にロープをくくりつけ、彼らに外へ出てもらいました。

彼らは霧の中へ消えて行き、やがてロープが突然激しく引っ張られました。数秒間すごい力で暴れるようにロープが動いたかと思うとピタリと動かなくなり、異変を感じたデヴィッドたちがロープを手繰り寄せるとそこには男性の下半身しかありませんでした。

人々が恐怖に襲われ店内へ引きこもる中、次の悲劇が起きてしまいます。店内の明かりに引き寄せられたのか大きな虫のような怪物や翼竜のような怪物が窓を割って襲いかかってきました。デヴィッドたちはなんとか異様な怪物たちを撃退しましたが、このときミセス・カーモディが怪物に接近されたにも関わらずたまたま襲われなかったことで、彼女の発する狂信的な言葉を崇める信者のような人たちが現れてしまいます。

デヴィッドたちはミセス・カーモディ一派を中心とした店内の異様な雰囲気を心配しつつも、負傷者を助けるべく隣の薬局へ医療品を取りに向かいました。そこには蜘蛛の糸に覆われた犠牲者や蜘蛛の怪物がいて、デヴィッドたちの中にも犠牲者は出てしまいましたが、なんとかスーパーへと戻ることができました。

薬局で見かけた犠牲者に軍事警察がおり、死の直前に喚くようにずっと謝り続けていたことが気になったデヴィッドたちは店内にいる兵士に話を聞き、「軍が異次元を観察する『アローヘッド計画』を実行している」という噂を知りました。もしその噂が本当ならば今霧の中にいる見たこともない怪物たちは観察していた異次元から何らかの理由でやってきてしまったもので、責任は軍にあるのでは?と予想できます。

しかしこの話をミセス・カーモディの信者に聞かれてしまい、デヴィッドたちの抵抗も虚しく兵士はナイフで何度も刺されたうえ生け贄として店外へ放り出されてしまいました。

ミセス・カーモディとその信者たちはもはや普通ではないと感じたデヴィッドたちは、同じく彼女たちの様子を恐れた人たちと共に物資を集めて脱出を計画します。

しかし、ミセス・カーモディがデヴィッドたちの前に立ちはだかり、なんとビリーを生け贄として差し出すように求めてきました。

信者たちとの戦いの中で副店長・オリーがミセス・カーモディを射殺し、その混乱の中デヴィッドたちは逃げるようにスーパーを飛び出しました。

9名で逃げ出したもののデヴィッドの車にたどり着けたのはデヴィッドとビリー、アマンダ、アイリーン、ダンの5人だけでした。

デヴィッドの運転で自宅へ辿り着きますが、妻は蜘蛛の糸に巻かれてすでに亡くなっていました。
悲しみをこらえ、なんとかガソリンのあるうちに怪物が発生している霧のエリアを抜けようとひたすら車を走らせます。しかし進んでも進んでも霧は晴れず、生存者の姿もありません。そこにあったのは廃墟のような町並みと犠牲者たちの姿、車の上を跨ぐように歩くビルほどの高さがあるような巨大な怪物の姿でした。

そして無情にもガス欠となった車は停止してしまいます。

車の後部座席にはアイリーンとダン、助手席には眠ってしまったビリーを抱いたアマンダ、そして運転席のデヴィッド、夢の中にいるビリー以外の彼らは生きることを諦めました。唯一の武器である銃に弾は4つだけ。

デヴィッドは「自分は何とかする」と言い4人を次々射殺し、絶叫しながら車の外へ出ました。デヴィッドが霧のどこかにいるであろう怪物たちに向かって「殺せ!」と叫んでいると、霧の中から何かがやってきました

それは火炎放射器などで武装した軍用車両でした。

怪物たちを焼き殺す兵士たちの後ろから生存者たちを乗せたトラックも姿を現し、その中には霧が発生してすぐにスーパーを出ていった女性と彼女の2人の子供の姿もありました。

少しずつ霧が晴れて行く中、それを見て呆然としていたデヴィッドがただただ絶叫するシーンでこの映画は終わります。

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結末はどのような考察がされ伝えたいことは?

映画作品としては見応えがあり素晴らしい作品ですが、なんとも苦しくなるようなラストでした。まさに「鬱映画」と言いますか、主人公が辛すぎるんですよね。

筆者もこの作品を初めて観たときのことを鮮明に覚えています。もともと洋画が好きで中でもアクションものやパニックムービーが好きでよく観るので、『ミスト』もぐいぐい引き込まれるように観ていました。しかしラストが今まで観てきた作品たちと違い衝撃的すぎて、しばらくボーッと画面を見つめていました。

父親が愛する息子を泣く泣く殺した直後に救助隊が通り掛かるラストシーンなんて想像もしていませんでした。主人公が助かったのにバッドエンドになってしまう映画は、他にあまり無いように思います。

ちなみに原作小説の『霧』は映画とは違う結末になっています。

原作でもデヴィッドたちが車でスーパーを脱出するところまではあまり変わりませんが、脱出後の結末に違いがあるのです。

デヴィッドたちは霧の中、車の中で夜を過ごしたり、ガソリンスタンドで給油をして更に先へ進もうとします。

そしてラジオからノイズに紛れて「ハートフォード(地名)」と「ホープ(希望)」という2つの単語をデヴィッドだけが聞いたところで終わるようです。

決してハッピーエンドではありませんが、ハートフォードを目指せば希望があるのか?という謎と希望を残しての結末です。

では何故映画ではまるで救いのないような結末となったのでしょうか?

これについては長年様々な考察がされているため、考察系サイトを読み漁った上で筆者も自分なりに考えてみました。

おそらく理由の1つに話題になるようなインパクトが欲しかったというのも正直あるとは思いますが、監督のフランク・ダラボン氏は過去のインタビューで「観客に問いを残そうとした」とも発言しているようです。この「問い」とは一体何を指しているのでしょう。

私がこの映画を観た後に真っ先に考えたのは、どこでどうすればデヴィッドたちは全員助かったんだろう?ということでした。きっと多くの方が同じ問いを自分自身にしたのではないでしょうか?

デヴィッドがビリーたちを射殺するとき、今すぐどうにかなるような危機が目前に迫っていたわけではなかったのだし、自害を選択せずにもう少し生きる努力をしていれば…

いや、それより前にあのミセス・カーモディをもっと早くなんとかしていれば店の外へ出る必要はなく、あの完全装備の軍隊たちが店にもやってきたのでは…

いやいや、それよりもっと前に子供が心配だと店を出て行った母親と共に外へ出ていれば…

そうです。結末を知った後からなら何とでも言えるんですよね。

人はパニックに陥ると集団だろうが個人だろうが正常な判断が難しくなります。だからこそデヴィッドのように実子を怪物に襲われる恐怖から解放してあげたくて殺してしまう人もいるでしょうし、ミセス・カーモディの信者たちのように不安や恐怖から少しでも逃れるために宗教であったり人であったり何かに縋る人たちもいるでしょう。

そこが人間の1番恐ろしい部分でもあると思います。

そのような状況下で100%正しい判断など1つも無く、何が良かったのか悪かったのかなんていうのは後になって分かることでしかありません。

この映画の結末だって一見デヴィッドは生還したように見えますが、もしあの霧が町だけでなく世界中に広がっていたとしたら?、もし軍の装備では倒せないようなより強力な怪物が現れたとしたら?、彼はほんの少し他のみんなより長く生きただけにしかならないかもしれないし、それでもさらに生を勝ち抜くかもしれない。

死のその瞬間まで数々の選択が正しいかどうかなんて分からないものなんだと思います。

個人的な感想になりますが、つまりフランク・ダラボン監督は観客に「貴方ならどこでどんな選択をしますか?」という問いと共に「いつか死が訪れる最後の瞬間まで希望を捨てずに生きてほしい」というメッセージを伝えたかったのではないかと思いました。

原作の結末にも出てきたホープ(希望)という言葉は映画にも共通したメッセージなのではないかと思います。

ちなみに、この後味としては最悪の映画版の結末についてはフランク・ダラボン監督が原作小説の著者スティーヴン・キング氏にあらかじめ伝えたところ、なんと絶賛だったそうです。きっと結末で伝えたいこと・表現したいことの本質が似通っていたからこそではないでしょうか。

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まとめ

映画『ミスト』というとこの結末の悲惨さがあまりにも有名になってしまいましたが、映画としてとても面白い作品です。先の読めないストーリーもそうですが、何種類も出てくる怪物たちの不気味な見た目や動きにもそれぞれこだわりを感じますし、蜘蛛の巣まみれで廃墟と化した町も妙にリアルで平和な日常が突然失われた感じが伝わってきます。

ここまでSFチックな危機は現実的ではないかもしれませんが、事故や災害もある日突然平和な日常を変えてしまうものです。そんな非常時に自分ならどうするのか、この映画を観てじっくり考えてみるのも良いかもしれませんよ。

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